「君の虜になってしまえばきっと〜♫」というフレーズを耳にしたことがある人は多いだろう。この楽曲“summertime”(cinnamons × evening cinema)は昨秋頃からTikTokを起点にバズを生み、日本国内だけでなくフィリピン、シンガポール、タイ、マレーシアでバイラルチャートTOP10入り、ベトナムでは1位にまで上昇。2020年7月現在、東南アジア4か国にてTikTokでの使用楽曲1位となっており、主に日本と東南アジアのリスナーによるミーム、カバー、リミックスが生まれ続けている。
この楽曲の作詞・作曲・編曲者が、evening cinemaのボーカルを務める原田夏樹である(作詞はcinnamonsの鈴木まりこと共作)。
多くの人が虜になっているこのフレーズを生むまでに、彼はどんな音楽から影響を受けてきたのか? 原田夏樹のルーツと生い立ちを探った。
(インタビュー・テキスト:矢島由佳子)
cinnamons × evening cinema - summertime (Official Music Video)
洋楽大好き少年が、邦楽を受け入れるようになった理由
―初めて触った楽器は?
原田:4歳くらいからピアノを習ってました。親が共働きだったので、幼稚園が終わったあとは併設されていたピアノ教室に預かってもらっていたんです。小学校に上がるとやめる子が多くて男の子は僕だけになっちゃったんですけど、僕は中3くらいまでみっちり続けていて。特に中学に入ってからは「野球部のキャプテンをやってるスポーツキャラが実はピアノも弾けるって、めっちゃおいしくね?」とか思いながら、ピアノを頑張ってました(笑)。
―当時はどういう音楽を聴いてましたか?
原田:最初に意識的に聴いたのは、小学校に上がる前から父親の車で流れてたTHE BEATLESかな。その頃は誰の音楽かは知らずに聴いていたんですけど、小4くらいになってそれがTHE BEATLESだと知って。同じくらいの時期に、平井堅さんの“瞳を閉じて”(2004年発売)のB面に入ってたEAGLESの“Desperado”のカバーを気に入って聴いてたら、父親に「それ、平井堅の曲じゃないの知ってる?」って言われて、「嘘!」って思いながらオリジナルを聴かせてもらって。そこから洋楽にどっぷりですね。小学校のときは親より早く家に帰ってたから、親のCD棚から聴き漁ってばかりました。
―邦楽より洋楽を好む少年だったんですね。
原田:中1くらいまでは尖っちゃってて、「邦楽? はあ?」みたいな感じで洋楽にしか興味なかったんです。でも、当時流行ってるものは認知しておかないとハブられると思って、ORANGE RANGE、EXILE、GReeeeNとかも聴いてました。
中1のときにAerosmithを聴くようになって、Aerosmithと共演した日本人がいるらしいぞってことで調べたら、それがB’zだったんですよ。そこからB’zの90年代の曲を聴くようになって、「めっちゃかっこええやん!」ってなり、B’zのおかげで邦楽を聴くことに対する抵抗感がなくなりました。当時ドラマ『14才の母』(2006年放送)が流行ってて、主題歌を歌ってたミスチルのアルバムを試しに聴いてみようと思って『HOME』(2007年発売)を聴いたらどっぷりハマって。そこから中2、3くらいは邦楽のメジャーどころを聴き漁ってましたね。スピッツ、BUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、ASIAN KUNG-FU GENERATION……当時流行ってたものが今も流行ってるってすごいですね。
山下達郎、オザケン、はっぴいえんどーーすべてはBEAT CRUSADERSが入り口
―evening cinemaの音に表れている山下達郎、はっぴいえんど、歌謡曲とかは?
原田:中3か高1のときに、BEAT CRUSADERSに出会ったんですよ。めちゃくちゃ真面目にふざけてるじゃないですか。当時はYouTubeの使い方を覚えたてくらいの時期で、YouTubeに上がってる数少ない動画を見ていくうちに、「これだ!」と僕は思って。パンクバンドだと思って聴き始めたけど、聴けば聴くほど「この人たちはポップスをやってるな」とも思ってました。
それで、ヒダカ(トオル)さんがディスクガイド(『ヒダカトオルのROOTS CRUSADERS MANIA ~アダグジを作った名盤122~』2011年発売)を出したときに、僕は速攻買って載ってるやつを全部聴いたんです。そこに歌謡曲がたくさん載ってて、「デビュー当初のサザン(オールスターズ)ってめちゃくちゃかっこいいな」という再発見があったり、山下達郎さんも「もう一回ちゃんと聴いてみるか」ってなったり、はっぴいえんどを聴いて「小学生のときに親父の棚から盗んで聴いてたやつじゃん! なんで聴き流してたんだ、昔の僕は!」ってなったりして。そこから70〜80年代の日本のポップスにどっぷりですね。小沢健二さんもこのディスクガイドで出会いました。
―BEAT CRUSADERSを入り口に日本のポップス史を辿っていったというのは意外でした。
原田:邦楽に対する正しい理解はヒダカさんの本のおかげなんですよね。僕は洋楽から入ってたから、(邦楽を)掘れば掘るほど「これ、The Beach Boysやん!」みたいになるわけですよ(笑)。だから余計に楽しかったんです。それで自然と、「日本の音楽は、どういうふうに洋楽と折衷するかを考えて進歩してきたんだな」というのが自分の中で体系化されていったんです。
しかも、BEAT CRUSADERSが解散した翌年にFed MUSICと1枚だけアルバム(『REPLICA』2012年発売)を出したんですよ。そのコンセプトがAORで、永井博さん(大滝詠一『A LONG VACATION』などを手がけるイラストレーター)がジャケットを描いていて。そこからAORも好んで聴くようになりました。BEAT CRUSADERSの存在は、本当に僕の中で大きいですね。
―岡村靖幸さんとの出会いは?
原田:浪人のときに、御茶ノ水のディスクユニオンに通ってたんですよ。あの先に予備校があって、毎回誘惑に打ち勝てずに寄ってたんですよね(笑)。そこで、「岡村ちゃんカムバック」みたいなコーナーができてて、『エチケット』(2011年発売)のピンクジャケットとパープルジャケットを見て、「なにこの人! めっちゃ癖ありそうだな!」と思って(笑)。あれはジャケ買いですね。そこからどっぷりでした。御茶ノ水のディスクユニオンは僕の人格形成に大きな影響を与えていますね。松田聖子さんもほとんどあそこで買いましたし。
“summertime”のバズに対する反響と願望「はよ気づいて欲しい」
―はっぴいえんどの面々や来生たかおさん等が松田聖子さんに曲を書き下ろしていたように、原田さんも女性へ曲提供することに強い関心がありますか?
原田:“summertime”もそうですけど、女の子に歌って欲しいという気持ちはもともとすごくありますね。僕には出せない可愛い声をどう使うのかは、バンドをやるのとは違うモチベーションとしてあるんですよ。自分で歌うときには遠慮しちゃうようなメロディーとか、キャピキャピした歌い回しも思い切ってぶつけられるので、そういう機会は今後も増えて欲しいと思いますね。
フィロソフィーのダンスの奥津マリリさんに書いた曲(“こころ盗んで”)は、我ながら今年作った曲の中で群を抜いて好きな曲です。ありがたいことに、奥津さんから「evening cinemaが好きなので、全部好き勝手やってください」って言ってもらって、作詞も作曲も編曲も全部やらせてもらえたのは嬉しかったですね。
―以前にインタビューさせてもらったとき(※1)、「カルチャーとかの知識がない人たちも含めて、みんなが一緒の熱量で盛り上がれる音楽を提供したい」「二次創作は文化を推し進める原動力だ」と言っていた原田さんとしては、“summertime”の広がり方をどう受け止めていますか?
原田:めちゃくちゃ嬉しいですね。自分でも把握できないぐらいカバーバージョンが存在してるので、本当に嬉しい限りです。なにが起こるかわからない時代だなって思います。だって、タイとかベトナムの人が“summertime”を日本語で歌ってるの、意味わかんなくないですか?(笑)
―すごい現象だと思います。
原田:ただ、エゴイスティックなことを言うと……はよ気づいて欲しい、「僕です!」って(笑)。キャッチーでノリやすいという点でしか評価されてないと思ってるんですけど、楽曲としての本当のよさまで踏み込んで考えてくれたら、作った人間にまでアクセスできると思うんですよ。「曲は聴いたことあるけど、誰?」という感じになってると思うので、自分本位で考えると、やっぱり作曲したのは僕なんだよって声を大にして言いたいし、今はバンドとしての作品でワンステージ上に行きたいという気持ちが大きいですね。
※1
evening cinemaインタビュー 日本のポップス史を継ぐ新たな才能(CINRA.NET)
ミニアルバム「AESTHETICS」より「純愛のレッスン」ミュージックビデオ
9/9(水)公開:続編インタビュー(2)evening cinemaの来歴。メンバーが集まるまでの長い旅
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